フはフラグメンツのフ
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考えてみれば、大体、今までの生き方が、まあ何という無意味な生き方だったか。精神の統一集注を妨げることにばかり費やされた半生といってもいい。とにかく私は自分を眠らせ、自分の持っているものを打消すことにばかり力を尽くして来たようなものだ。
かつて自分にも多少は感覚の良さがあった時分には、私はそれにのみ奔ることを惧れて、自分の欲しもしない・無味な概念のかたまりを考えることによって感覚を鈍くしようと努めた。そうして、結局すべての概念が灰色だと知った時、また、自分が苦心の結果取除くことに成功したところのものが、いかに黄金なす緑色をなしていたかを悟った時には、すでにそれを取返す術を失っているのだ。私がかつて、かなり確かな記憶力を有っていた頃、私はこれを軽蔑した。記憶力しか有っていない人間は、足し算しか出来ない人間と同じだと云い、自分のこの力を撲滅しようとした。これは随分無理なことだった。で、少くとも、これを利用することだけは避けるようにした。さて、人間生活の多くの貴い部分が、最も基礎的な意味において精神のこの能力に負うていることを、身をもって悟るようになった今となっては、はや(種々の薬品の過度の吸入や服用その他によって)自分にそれが失われているのだ。
今でもそうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。これは主に、この十年間一晩として服用しないでは済まない喘息の鎮静剤のせいなのだが、結局睡眠の時間は二時間か三時間位のもので、かえって、昼間は一日中ボウッとしている。床に就いてから目が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考えて、恐らく私の一日中で一番頭のはっきりしているに違いない数時間を、眠ろうとする消極的な下らぬ努力のために費やしてしまう。本当はそういう時こそ、色々な思想の萌芽といってもいいようなものが、どんどん湧いてくるような気がするのだ。しかし、そんなものについて思想を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ、そうするとまた、明日は発作だぞ、と、私は躍起になって、そうした断片的な思惟の芽を揉み消して行く。全く私はどれほどの多くの思索の種子を寝床の闇の中でむざむざとにじり潰してしまったことか。もちろん、私は思想家でも科学者でもないから、私のひょいひょいと浮かんで来る思いつきや断片的な考えが皆優れたものだったろうなどというのではない。けれども初めはごく詰まらないものであっても、後の発展によっては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でもしばしば見られるのだ。闇の中で私に惨殺された無数の思いつき(それらは、高く風に飛ぶ無数の蒲公英の種子のように、闇の中に舞い散って、再び帰って来ない)の中には、そうした類のものだって多少は交じっていたろうと考えるのは、自惚に過ぎるだろうか?
さて、数年の間こうして、私の精神が溌剌として来ようとする時には、それを眠らせようと力め、それが眠く朦朧としている時にのみ、それを働かせようとした。いや、精神をば全然働かせまいと力めたのだ。(何のために? 身体のために。それで身体はよくなったか? どうして、どうして。少しもよくなんかなりはしない)私はこの馬鹿げた企てに成功した。本当の睡眠も本当の覚醒も私からは失われた。私の精神はもはや再び働く力を失い、完全に眠り・沈み・腐った。精神の缶詰、腐った缶詰。木乃伊、化石。
これ以上完全な輝かしい成功があろうか。
(「かめれおん日記」より)