フはフラグメンツのフ
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その夜、電気の消えた部屋で先生は、月の光に誘われるようにしてAmaxonの箱から起きだした。俺も小説は書けなくても、もう少しまともな紹介ができるようになりたいものだ。
外は満月であった。
机の上に跳びのると、カーテンの隙間から漏れ入る月光が先生の体に白い帯を作った。
先生はそれを舐めた。
色がかわっても毛の味はいつもとかわりない。
光の帯は机の端で途切れて床に落ち、布団で眠るオフトンの体を横断して歪んだ。
(しあわせそうな顔をして眠っている……)
太くなった瞳で先生は見た。
胃腸の弱いオフトンは夏でも毛布を腹にかける。
(1年かけて思い悩んで東奔西走して、それでいくらになるのだ)
(割にも合わぬ金を得て浮かれている)
(哀れなものだ)
長い時間をついやしてできあがるものは文庫本1冊。
速い者なら2時間で読了してしまうほどのものである。
(だがオフトンよ、おまえは書くのだ)
(書かねばならぬのだ)
(おまえは漱石にも鷗外にもなれずに終わるだろう)
(生まれ持ったものがちがう)
(だが漱石も鷗外も、いまを生きておまえのように書くことはできない)
(だから書くのだ、オフトンよ)
(おまえはとうとい)
(かつて生き、書き、とうとかった者たちがおまえの遠い遠い祖 としてある)
(どんなつまらん文章にもかならず祖がいる)
(すべてのことばの申し子としていまこの瞬間、オフトンの書くことばはあるのだ)
先生は机の上で伸びをした。
誰に教わったことでもないが、やり方は知っていた。
座って尻尾を体に巻きつける。
そのしなやかさを先生はうつくしいと思った。
窓から差しこむ月光もうつくしい。
誰かにそう教えられたわけではないが、先生の心はそう動いた。
静かに地上へ降りそそぐ光をはばかってか、エアコンがうなりを止めた。
(猫はかつて人間のそばで暮らすことを選んだ)
(私にはその選択が1匹の猫の意志によるものだとはとうてい思われない)
(選んだのは猫という種そのものだ)
(種というひとつの大きな命が生きながらえるために野生を捨てたのだ)
(作家というのもひとつの命なのだろう)
(漱石も鷗外も、萬葉 集 の名もなき歌人も、京 の女房も、武士も町人も、流行作家もおたずね者も、みな書くことで作家という命を生かしつづけてきた)
(彼らが生きようと死のうと、病もうと飢えようと、作家という命は一顧だにしまい)
(草木が実らぬ種をばらまいて平気なように、個々の破滅などは織りこみずみだ)
(奴は書く者さえあれば生きていける)
(だから「誰が書くか」ということは問題にしないのだ)
(だがそれでもオフトンよ、おまえは書け)
(懸命に生き、そして書け)
(おまえの書いたものは、たとえ世に出たところで何も生まずにすぐ忘れさられる)
(だがおまえの書くことばはいま、大きな命を生かし、次に生まれてくることばたちを準備するだろう)
(報われぬまま書け、オフトンよ)
(私がおまえを見ていてやる)
(同じ大きな命を担う者として、敬意を表し、これからもずっとおまえをオフトンにしてやろう)
(「先生とそのお布団」より)
1. 無題