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隆慶一郎「柳生刺客状」「柳生非情剣」

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隆慶一郎「柳生刺客状」「柳生非情剣」




隆慶一郎といえば「花の慶次」の原作である「一夢庵風流記」や、代表作である「影武者徳川家康」などを紹介すべきなのだろうが、わたしは敢えてこの2冊の短編集を推す。

 春だった。一面に名もなき花の咲き乱れた花野に、兵介は立っていた。眼が異様だった。兵介にはその花野が、屍で埋まった高原郷の村と映った。赤は血であり、白は女の肌だった。そして緑は屍体すべての顔色である。
「わッ」
 凄まじい叫喚が、兵介の咽喉から発せられ、次の瞬間、兵介は花野の中に倒れ、指で土をかきむしっていた。
「わっ。わっ。わっ」
 指は花をむしり、草をひき抜き、土をえぐった。花が、葉が、土が虚空に散乱する。それが悉く屍体の腕に、首に、臓腑に映った。
 新次郎は無言で凝視している。彼には、兵介の見ている物が見えない。だが推測はついた。このまま狂うかもしれぬ、とも思った。それでも動かなかった。狂気もまた一個の救いであることを、新次郎は知っている。それで救われるのなら……やむをえないと思っていたのだ。
 四半刻も兵介の狂態は続いた。
 やがておとなしくなった。
 死んだように倒れて、また四半刻が過ぎた。
 不意に口が動いた。
「修羅だったよ」
 新次郎は兵介のそばに曲がった腰をおろした。
「あれは、まったくこの世の修羅だったよ、おやじ」
 噎ぶように兵介が云った。
「分っている」
「分ってるって。おやじに分っているって」
 兵介ははね起きて云った。野獣の素早さであり、激しい怒りの眼だった。
「嘘だッ」
「嘘じゃない。おれも見たよ」
「嘘だッ。おやじは生きてるじゃないかッ」
「それは……」
 新次郎は憐れむように兵介を見た。
「おれはその中にいたからさ」
「なんだって」
「死人の中にだよ。おれは倒れて、死人の中にいたんだ。大方、死人と変りはなかった」
「…………」
「腰をくだかれてね、身動きひとつ出来なかった。お前のように、立って見おろしていたんじゃなかった」
 兵介が妙な声を出したと思ったら、泣きだした。高原郷で遂に訪れてくれることのなかった涙が、今、兵介の頬をさめざめと濡らしている。
「おれはその時、修羅の中にいるとは思わなかった」
 暫くの無言の後に、新次郎がぽつんと云った。
 兵介が新次郎を見上げた。新次郎の目は虚空を見ている。
「おれはね、まさしく仏たちの中にいたよ」
 長い沈黙があった。
「だから生きてるんだろうな、今でも」
 新次郎の声はききとれないほど幽かだった。
(「柳生刺客状」より)


網野史学に基づいた大胆な歴史解釈が隆作品の面白さだが、この巧みな情景描写に裏打ちされた独自の死生観こそが真の魅力であると思う。そしてそれが一番発揮されているのが、先日話題に出した「死ぬことと見つけたり」である。
死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)
死ぬことと見つけたり〈下〉 (新潮文庫)
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